学振2回落ち、3回目は出さずに終えた経験から思うこと

こんにちは。
タイトルの件について書き残しておこうと思います。学振と言っても色々ありますが、今回書くのは学振DC1,DC2のお話です。合格体験記とかいう華々しいものではないので、2回落ちて、3回目を出さなかった博士学生の一つのお話として読んでください。

ご存じない方もいるかもしれませんので簡単に説明しますと、学振DC1,DC2というのがありまして、これはM2の春(DC1)、D1の春(DC2)、D2の春(DC2)に出せる博士課程の奨学金の制度です。通れば月20万円のお給料と毎年150万円以内の研究費がもらえて、経歴として書くこともできます。

ここから2回落ちて3回目出さなかった経緯を書いていきます。

私は博士課程に進学することを決意したM1の後半に学振の存在を知りました。その時点ではもう2月上旬くらいだったのでもう説明会など事前の諸手続きが始まろうとしていた頃でした。

周りに聞ける人もおらず、とりあえずネットで調べた合格した人の申請書を参考にし、訳も分からずM2の4月から必死になって申請書を書き始めました。業績は一つもありません。良い申請書を出したいという気持ち以上に出すまでが大変すぎて書ききれただけで大満足といった感じでした。

秋頃に結果が来て不採用でした。周りに仲間もおらず当時はTwitterなどもやっていなかったので落ちたことは家族と教授にだけ伝えたといったところです。

これが1回目の学振でした。急には自分を変えることはできないのかと思い知りました。

そして、2回目の学振はDC2、M2の終わりごろにまた出すぞと決めてD1の春にかけて書いていきました。前年度に一回書いていたので比較的書きやすかったのは書きやすかったですが、正直なところまだ博士課程に入学したところで他大学の方々よりも意識が低かったように思います。

結果はやはり不採用。自分には無理なのか・・・と落ち込む気持ちと、それ以上に学振のような大きな書類を書き上げるまでの間は(私がまとめることが苦手なのもありますが)精神的に苦痛でしたので、申請書を書くことへのモチベーションがかなり下がりました。

そしてD1の終わり、学振のお知らせが来ました。
D2の春に出して採用されるのはD3からの2年間で、これが最後のチャンスになります。

募集要項をちゃんと見れば良かったのですが、なぜか当初は出せないと思っていました。出したかったなあと思いながらよくよく読むと出せることに気づきましたが、ちょうど気持ちがかなり落ち込んでしまっていた時期と重なってしまい、あっさり出すことを諦めてしまいました。

そんな理由で出さなかったのかと思われるかもしれませんが、そんな理由で出さない決断をしてしまうことがあることをお伝えしておきたいです。

今から思うとあの頃の研究や自分自身がどう評価されるか知っておいた方が良かったなと思いますし、出さなかったことでもしかしたら出していたら通っていたかもしれないと思ってしまう部分もあります。

また、学振を出そうという気持ちが失われている時点で研究は一旦止めてもよかったのかもしれません。

しかし、D2の冬からD3にかけて急激にモチベーションが回復し、さらにD3の秋にJST次世代が始まり、今度こそ出そうと思い、出したら採択されました。(JST次世代採択→修了(予定)→留年へ

ただ、留年することが決まっておりまだ学位が取れる見込みがないので今は次の学振等には出すことはできない状態です。学位が取れたら今度は良いモチベーションで学振PDに挑戦したいと思います。

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